基本についてもう一度考える

この教室の特性からなのか、ものすごく教育熱心な親子に出会う機会が最近増えた気がします。

その熱心さは素晴らしいことだと思うのですが、その中には、難しいことを学ぶことが上達につながる/価値がある、と考えている方が一定数いらっしゃる気がしています。例えば、級位者のうちからプロ棋士が使うような難解な戦法を学んだり、詰将棋ハンドブックをきちんと解けない状態なのに手数が2桁の難解な詰将棋にチャレンジしたり、というような話がこの教室の受講生に限らず、世の中にあふれています。

以前からブログで記載している通り、基本が身に付いていない状態で難しいことにチャレンジすることは、逆に伸びしろを狭める可能性がある、が私の考えです。今回は、そう考える理由について補足します。

1. 上達とは、手だけではなく意味を理解すること
定跡とは、過去の先人達が創り上げた模範となる指し方です。あくまで模範であって、変化する手は無数にあります。棋力が上がれば上がるほど、指し方が多様化してくるため、手を覚えただけでは対応するのが難しくなります。

現代の定跡の多くは、こどもでは理解できない難しい理論で成り立っており、出来るのは手を追うだけで意味まで理解するのはほぼ不可能です。こどもが手だけではなく意味まで理解、実践できるのは、数の攻め/数の受け、攻めは4枚/守りは金銀3枚のようなわかりやすい理論で成り立つ指し方です。棒銀や角道を止める四間飛車、ゴキゲン中飛車はそれに該当しますし、六枚落~二枚落の駒落ちの定跡を学ぶのも有効です。

詰将棋では、詰みがあるとは誰も言ってくれない&時間が限られた実戦で、1~5手詰を詰まし切るのは実はとても難しいことです。簡単な手を逃さないためには、基本の習熟度を高めることが有効です。

2. 最も価値があるのは、自分の頭で考え、発見したこと
最も価値がある学びは、あーでもない、こーでもないと自分の頭で考えた末に発見したことで、それがここ一番で力を出し切る原動力になると考えています。自身の頭で理解できることを掘り下げていく学び方は効果的です。先生から教わった難しいこと、よりも、(どんなに些細なことであっても)自分で発見したこと、の方が価値が高いです。

新たなことを知ることは決して悪いことではありませんが、知識(特に難しいこと)を詰め込み過ぎるのは、自分の頭で考える余白を奪う可能性があり、逆に危険なのではないかとも考えています。



我が子を上達させたい気持ちはとてもよく理解できます。だからこそ、基本を大切にしてほしいです。

将棋は運がほぼ絡まないゲームなので、やるべきことをやりさえすれば、たどり着きたいところにたどりつく可能性は高いです。