脳に汗をかく経験

「将棋無双と将棋図巧をすべて解けば四段(プロ棋士)になれる」

これは、米長邦雄永世棋聖が生前残した有名な言葉の1つです。

“将棋無双”と”将棋図巧”とは、江戸時代の名棋士の伊藤宗看と伊藤看寿が江戸幕府に献上した詰将棋の作品集で、現代では「詰むや詰まざるや」として知られ、数百年経った今でも詰将棋の最高傑作と評されています。

この教室では、詰将棋に力を入れており(と言っても、教室なので、無双と図巧のような難解な問題ではなく、基本的な問題がほとんどです…) その言葉の真意を私なりに考えてみたいと思います。


最初に詰将棋を解く目的をおさらいすると、将棋を指す上での基礎となる「読み」の力を鍛えることです。

しかし、将棋は序盤から終盤まであり、そのスキルは多岐に渡るため、「読み」の力だけを付けたからと言って、棋力の向上に直結するわけではありません。

では、なぜ米長先生は、この古典詰将棋集を全問解けば四段になれると言ったのでしょうか?
これには2つの意味があると考えています

脳に汗をかく経験を積む
この詰将棋集は、羽生さんが10代の時に6~7年、藤井聡太さんが小学校中学年の時に1~2年かかった(はず)ことからもわかる通り、そう簡単には解けません。頭の中をかきむしって、考えを振り絞った末にキラリと光る一手が発見でき、ようやく解ける問題ばかりです。そんな脳に汗をかく経験を積むことが1つ目の意味です。

情熱と根気を養う
この詰将棋集は、数日かけても、場合によっては、1週間かけても解けないほど難解な問題がたくさんあります。解くためには将棋への情熱と根気強さが求められ、その精神を養うのが2つ目の意味です。

そして、この2つの力は、肝の勝負になればなるほど重要度が増すと考えています。強者との重要な一局の急所の局面では、教科書に載っている手筋などで解決できる局面はほとんどなく、自分自身の力で考えに考えてひねり出した一手が求められます。


現代は、学習するツールが整備されており、効率よく上達することが可能です。しかし、それは裏を返せば、苦労する経験を積みにくくなっている(=苦労する経験が他者との差異化要素になりえる) とも言えます。

上を目指したい子は、この観点も考慮に入れて、将棋を学んでいってほしいと思っています。

(追記)
念のため補足すると、小中学生から将棋無双と将棋図巧を解くことを勧めているわけではありません。人並外れて将棋が好きで能力が高い子を除いて、ハードルが高すぎて将棋が嫌いになってしまいます。苦労なく答えを手に入れることができる環境から少し距離を置き、自分の頭で考える経験を積みましょう、がお伝えしたいことです。