「技術を教えない」の真の意味

8/19(金)の夜にLPSA将棋の優しい教え方講座・インストラクター講習会で講演し、100名近い方にご参加いただきました。お申込、ご参加いただいた皆さま、本当にありがとうございました!

「技術を教えない教室なんですね。」

その質疑応答の時間に、大庭美夏女流初段からこのようなコメントがあり「まぁ、そうですね。」というニュアンスで返したのですが、手や読みなど将棋の技術の話は何もせず、精神論だけを語る教室なのか(笑)と、誤解を与える可能性のある表現だったと反省しています。

そこで、技術を教えない、の意味とその背景にある考えについて書きたいと思います。


「技術を教えない」とは、

-この局面は、この手が最善手だからこう指すべし、という教え方をしない。
-この局面は、この手が数ある候補の中の1つの手段で、その背景にはこのような考え方がある、という教え方をする。

という意味です。

定跡書を読み、AIの候補手や評価値を見ると、局面毎の最善手が存在し、その手を指せるようにならなければならない、という錯覚に陥りがちで、実際にそう思っている方が多いと感じています。もちろん、初学者は真似から始めますし、そのような考え方で将棋を創り上げる方法は存在しますが…

将棋は、理屈さえ合っていればどんな手を指しても一局(いい勝負)、つまり正解が1手しかないという局面は稀で、局面が求める条件を満たす複数の選択肢のうちどれを選んでも勝敗には影響しない、その自由な選択に個性が表れる

が、私の考え方です。
(なので、定跡を学習する真の目的は、正解手順を覚える、ではなく、理屈にあっている指し方の一例を知る、です。)

まだ、将棋が未完成なこどもの内は、可能な限り自由度を与えて自分自身で考えさせた方が、将棋を指していて楽しいはずですし、成長も早い、とも考えています。

話をまとめると「技術を教えない」とは、

この局面は、この手が数ある候補の中の1つの手段で、その背景にはこのような考え方がある、という教え方をして、具体的な手の意思決定はこども自身に委ねる。

が真の意味です。日々の学習の参考になれば幸いです。

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