制約の中にある自由

子供の考えを全面否定せずに一旦受け入れてから、こういうのもいいんじゃない?と指導してくださる。

戦法や棋風を否定せず受け入れてくれた事がすごく嬉しかったようです!自身を認めて貰えた事が自信となったようです。

緊急事態宣言を受けて年明けにオンライン対局を立ち上げて3か月が経ちました。これらは受講した子の保護者の方からいただいたコメントで、過分な評価をいただき大変ありがたく思っています。

今回は、このような教え方をする背景にある考えについてご紹介します。


すべての有限ゲームは、先手必勝法があるか、後手必勝法があるか、引き分けに終わるかのどれかである。

ツェルメロの定理

100年以上前、1913年にドイツの数学者エルンスト・ツェルメロはこのような証明をしました。これは、将棋、囲碁、チェス、オセロなどの完全情報ゲームには、先手必勝、後手必勝、引き分けのいずれかの結論があり、その結論に至る双方の最善手順が存在するのを示しています。つまり、将棋には局面毎の最善手が存在するんですね。

ただし、それは”数学的”にはの話で、思考に限界や偏りがある”人間的”には将棋は何をやっても一局(=いい勝負で勝敗には影響しない)と考えています。

ここで言う「何をやっても」は、ロジック(正確な読み、確からしい形勢判断、様々な候補手がある中での選択/非選択の明確な理由)さえあれば、どんな手を指してもいい、という意味です。

最近では、AIの影響でこの局面の最善手はXXのように表示される機会が増え、局面毎にその一手を指せるようにならなければいけない、という感覚にとらわれがちですが、実は、将棋に存在する膨大な局面の中で、この一手しか勝負できないという局面は少数で、大多数の局面はいくつかの指し方が成立しうると認識しています。試しに、AIが示した最善手以外の手をAIに評価させると、評価値がほとんど変わらない手がいくつもあることがわかるはずです。

さらに、それらの候補手の中から、自身の棋風に合った指し方、人間的に勝ちやすい指し方、まだ経験したことのない指し方、その後の展開の難易度が高い指し方、などさまざまな軸で次の一手を選択できると、さらに将棋が面白くなり、頭を使って将棋を指していると胸を張って言えると思います。

最後に、大学生の時、貪るように読んで大きな影響を受けた「戦いの絶対感覚」シリーズの羽生さん篇のまえがきをご紹介します。

ある程度、基本を覚え、実戦を重ねてくると、ルール以外のコモン・プレイス(決まった型)に気づいてくると思う。(中略)
つまり、初心者の時にはどう指してよいか解らないので自由に手が選べたわけだが、この手を指すと悪くなるということが解ってくると、どう指すべきか解らなくなる、迷ってしまうという現象が起こる。そんな場合の指針になれば著者として嬉しい。(中略)
すべてコモン・プレイスで指しているのでは息苦しくなるし、つまらなくなってしまう。「制約の中にある自由」が将棋の大きな魅力なのだから。