先日、将棋会館の道場でこのような出来事がありました。
一手のミスが勝敗に直結する緊迫した終盤戦。しかし、局面が全く動きません。険悪な雰囲気を察して対局していた子に話を聞くと、相手が持駒の桂馬を持ち着手した後、慌ててその駒を引っ込めたとの事。しかし、もう一方の子に話を聞くと、着手は完了していないと言い張ります。その後、道場の担当者の判断で続行しましたが、双方後味の悪い対局になってしまいました。
今回は、この問題の原因である手離れについて書きたいと思います。
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そもそも将棋には、駒が手から離れた時点で着手が完了したとみなす、暗黙のルールがあります。裏を返せば、駒を持ったとしても駒から手が離れなければ、着手が完了していない=やり直して違う手を指せる、とも言えます。
そして、将棋を指す方であればよくわかる話ですが、考えて指し手を決めて駒を持ち、駒が手から離れるか離れないかという瞬間に、その手が悪手だとわかる場合がよくあります。
なので、駒が手から離れるか離れないかという瞬間に、無意識のうちに、とっさに駒を元に戻してしまう、という事象がよく発生します。今回の一件に限らず、子供の大会でもよく見る光景です。
では、この手離れを棋力向上の観点から考えるとどうでしょうか?
今から20年以上前、高校1年生だった年のお正月に、東海三県の高校生で指し初め(今風に言えば、研究会)をしていました。その場に、ゲストで天野高志さん(伝説のアマ強豪、アマ名人、朝日アマ名人、アマ王将)がお見えになり、角落ちと平手で2局教わりました。
その感想戦では、将棋の技術的な話で終わりましたが、その後、人づてに天野さんがこう仰っていたと聞きました。
「幸男くんの手離れの悪さを何とかした方がいい。今後大きな大会に出る時のために。」
その前年の夏に高校選手権と高校竜王戦で岐阜県代表になり、田舎の道場で二、三段だった時で、全国大会で勝てるようになるために技術の向上のみを追っていました。
その時は、単にマナーの問題(当然、手離れが悪いと相手が良く思わないですし、しかも、恰好悪い)を指摘されたと思いましたが、何度か全国大会に出場したり、強い人との対局を重ねたりした後、もっと深い意味があったという思いに至りました。
一つ目は、技術の問題です。
手離れが悪い、は、読みをまとまらない内に手が動いている、と同義で、そんな大雑把な読みではいずれ成長が止まってしまう、だから、しっかり読みを入れてためらいなくバシッと指そうね。
二つ目は、勝負の問題です。
もし手離れが悪ければ、マナーだけでなく上記の技術的な問題もあり、相手から大したことがないとみなされる上に、この相手には負けたくないとも思われる。それは勝負する上でとても損だからやめた方がいいよ。
三つ目は、姿勢の問題です。
手離れの良さは、その一手に対する覚悟の表れ、とも言える。その一手を信じ切る覚悟がなければ、この先、上を目指すことはできないよ。
天野さんはこう仰りたかった、と今では考えています。このアドバイスには本当に感謝しています。
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手離れの良し悪しは、数値化できず棋力の向上や大会の結果には関係ないと思われる方が多いかもしれません。しかし、実際は全くの逆で勝敗決定要素の1つであり、棋力向上のための重要な要素でもあると思っています。気を付けて対局してほしいですね。(もちろん、私も完璧ではありません。改めて、留意して対局しようと思った出来事でした。)