インフレ時代の将棋学習法4 -ディレクションは一本が望ましい-

インフレ時代の将棋学習法シリーズ。第4弾は、将棋の先生が提供するディレクションについてです。


教室に通い、先生と対局すると、その対局の好手、悪手だけでなく、個々の課題やその解決法の提示=ディレクションが提示されるはずです。(定跡や手筋などの知識は親子で本や動画で学び対局を重ねれば自然に身に付くので) 私はそのディレクションこそ将棋の先生の真の存在意義だと考えており、この教室では特に力を入れているつもりです。

そこでよく問題となるのが、ディレクションの衝突です。教室の掛け持ちや複数の先生との対局するのは全く問題ありませんが、ディレクションについては信頼できる1人の言うことに従った方が良いと考えています。

山の登り方が複数あるように、将棋でもゴールへの到達方法は複数あり、先生が10人いれば10通りのディレクションが存在します。それらは、それぞれ一理あり、どれも採用する価値があります。しかし、複数のディレクションのいい所取りをすると、異なる山の登り方なので整合が取れず、成立しなくなってしまいます。
(正確には、いい所取りをする方法は皆無ではありませんが、将棋への本質的な理解が必要で、親子ではほぼ不可能だと考えています。)

よって、好ましいのは信頼できる1人が見つかったら一定期間はそのディレクションに従うことです。一定期間が経過した後、その1人を卒業して別の1人のディレクションに乗り換えるのは全く問題ないと考えています。

例えば、音楽の世界に”師事”という概念がありますが、ピアノやバイオリンを複数の先生に師事するという話は聞いたことがありません。他の先生に師事するのであれば、今の先生を卒業という形を取ります。曲の解釈や弾き方が異なるからです。将棋も音楽と全く同じロジックですが、将棋の世界では複数の先生のディレクションに従い、迷子になっているケースが多いと感じています。

ディレクションは一本でシンプルにして、それに従った努力に親子のリソースを集中させる。これが上達につながりやすい学習法だと考えています。
(繰り返しになりますが、教室の掛け持ちや複数の先生との対局を否定しているわけではありません。この教室は、そのどちらもOKです。)